清色城跡と入来麓
次なる武家屋敷は薩摩川内市の市街から山あいに入り込んだ、入来麓です。三大薩摩武家屋敷のうちの一か所という言い方をすることもあるようです。
ここは、出水とはだいぶ趣が違い、山城を護る為の城壁街と言えます。
山城は清色城といいその主は、相模国から鎌倉時代に功績を挙げ褒美としてこの地を与えられ、下向した(失礼な言い方にはなりますが、歴史的にはそのように言われています)渋谷氏で、この地に移って入来院氏を名乗っています。
薩摩武家屋敷とはいっても、どう見ても島津を護る構えでは無く、むしろ薩摩藩内の国人(豪族)として島津やその他の豪族と闘い、時代によって島津の家来になったりまた争ったりという独特の歴史があると思われます。
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| 緑色に示している険しい山の中に山城が点在していました。麓を湾曲して流れる樋脇川を天然の堀と見立て、平地に武家屋敷並びに農地の街区を整備して家来たちを住まわせたのでしょう。城の主を死守する配置ですね。 |
| 馬場から登城していく階段。ここは、城から降りてきて馬場での訓練などを睥睨した場所と思われます。階段の上は現在「入来小学校」になっています。こんな学校に通ったら、故郷を愛する人間が育つことでしょう。 |
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| 右側が馬場の跡地です。薩摩馬が疾走していたことでしょう。 左側は樋脇川から人工的に引き込んだ堀で、船着場の跡があります。 |
| 塀を構成する石垣は玉石を組み上げています。馬が通ったであろう街路も湾曲しています。山城に向けて坂道にもなっていて、独特の街区構成。 |
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| この武家屋敷群の保存は塀に重点が置かれていて、それぞれの家屋は現代の暮らしに合わせ建て替えられているものが多いです。街路は見事。登城の馬が通ったであろう鉄砲道路。遠方に見えるのが山城があった山。 |
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| この居宅は、地頭である入来院さんの末裔が今でも住まわれているものです。茅葺屋根の武家屋敷門が残り、格式の高さがうかがえます。棟の冠木を茅で被せるように覆ってしまう独特な葺き方です。 |
赤城神社
域内の氏神様と思われる赤城神社。伽藍などに意味があるのであろうが、そこまで読み込めなかったです。
増田家住宅
保存家屋として公開されている住宅。茅葺の武家屋敷の様式を整えている。しかし実際の武家屋敷ではなく、明治時代に建てられた歯科医の自宅。2棟の建物の棟が直行して連棟となっている。奥の建屋は土間で水屋や通常の生活空間。手前の建屋は来客(位の上の侍つまり殿や上司等)や主人や長男しか使えない。縁側があり高床になっている。


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| 五右衛門風呂 |
清色城跡
山に分け入っていくと切通しを経て、急な階段を登り鬱蒼とした城跡に至る。原状では様々な生き物の方が強そうなので、這う這うの体で帰ってきました。

















