2015年11月21日から24日までの短い期間ですが、広島県呉市豊町に蜜柑収穫作業の手伝いに行って来ました。今回の旅の道連れは、小生の元会社同僚のMさん(女性)、Mさんのお友達Sさん(女性)、そしてMさんが海外ボランティアで一緒に作業をしたご縁のGさん(男性、大阪在住)というカルテット。果たして都会生活者は効率よく農作業をこなせることができるのでしょうか。
大崎下島
豊町は、大崎下島にあります。大崎下島は、広島県と愛媛県に挟まれた瀬戸内海に浮かぶ島です。広島空港でレンタカーをピックアップして山陽自動車道を軽く走ると呉です。そこから橋を渡って、下蒲刈島、上蒲刈島、豊島を経て4つ目の島が大崎下島。ここまで広島県であり、県境の島。この次に連なる岡村島は愛媛県に所属しています。地図で見ると呉と今治の中間地点に見えます。文化圏的にはラジオ放送などは愛媛の電波がよく入るし、島の人は瀬戸内海文化の中で暮らしているのであまり広島県への帰属意識は無いようでした。行政に係る地方公務員の方々は別として。
あまり土地勘が働かない方のも多いでしょうから、地図を徐々に拡大していきます。Mapionさんの地図を借りました。Mapionさんありがとうございます。
瀬戸内海西方の観光地としては、尾道から今治を結ぶしまなみ海道が有名ですね。素晴らしい道です。しかし、今回通った呉から大崎下島に至るルートも安芸灘とびしま海道といって素晴らしい景観の道路でした。インフラにはとてもお金がかかっています。
道連れのMさんは、母方の御祖父様が呉から一つ目の「下蒲刈島」のご出身で、幼少期に何度も島を訪れていたそうです。いわばMさんの故郷的なところで、今回の仕事もMさんが見つけて誘ってくれたのです。島に至るには安芸灘大橋という素晴らしい橋を渡っていきます。http://www.hprc.or.jp/akinada.html

安芸灘大橋(広島県道路公社の写真を借りました)
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道の駅から
波はなく遥かかなたの島影を楽しめる。
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大崎下島まで、快適なドライブを経て、島の東側に至りました。大長(おおちょう)というところです。海を挟んだ目の前は岡村島です。地図では旧関前村となっていますね。島と島とに囲われ、小さな無人島も浮かぶとても静かな湾が広がります。そこからそびえる山の南斜面が、蜜柑の収穫農地でした。大長蜜柑は関西や中国地方では有名な銘柄だとか。
世界大百科事典
内の大長ミカン
の言及 【大崎下島】より
…東に愛媛県の岡村島があり,大崎下島もかつては伊予に属し大長(おおちよう)島と呼ばれた。島全体が急峻な山地であるが山頂まで段畑として耕され,温暖少雨の典型的な瀬戸内式気候によって良質美味の大長ミカンを産する。南東部の御手洗(みたらい)港は帆船時代から内海航路の要所であったが,明治以降は入港する船もなく,史跡から往時の繁栄がしのばれるのみである。…
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呉のスーパーにて。逆さまに積んでありました。。
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緑のやじるしの場所が大長です。そのまま島を南へ半島を巡っていくと「御手洗」という港町があり、面白い街並みが残っていたのでした。
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御手洗の港から、岡村島に至る橋を眺める。反対側の水平線にはしまなみ海道の来島海峡大橋が長大な姿を見せていました。
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瀬戸内海
瀬戸内海は碧く、あくまで穏やかで、鏡のような海面が続きます。晴れ渡り遥か遠くの水平線まで島影が重なりあい、遠景がほんとうに美しいです。他のどんな海とも違います。今回始めてその独特な美しさを認識しました。Mさんは、「この風景が私の思う海だ」と言っていましたが、うらやましいことです。湘南や千葉など外洋に面した海岸は常に波が打ち寄せ、穏やかな日和でもそれが絶えることはありません。ところが風のないときには瀬戸内海には波は立たないのです。
しかし、穏やかな水面の下には急流が渦巻いています。潮の満ち引きの干満差が3m以上。その潮の移動が島で狭くなった海峡に押し寄せるのです。1日に2回ずつ東西へ強い流れがあります。まさしく瀬戸です。上の地図でわかるように、広島と愛媛の間は特に島数が多く、その分瀬戸は急です。そして数多くの岩礁。瀬戸内海は波は無いけれど海流が強い海の難所が連なる海道なのです。
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| 大崎下島のヒルトップから |
待てば海路の日和あり
風待ち汐待ちという言葉をご存知でしょうか。日本の船はペルー来航後鋼製の船が建造されるようになるまで、ほぼ木造の帆船でした。更にその昔は、手漕ぎ船。手漕ぎ船は潮流が2ノット(時速3.8km)を超えると前に進めません。帆船も風が無ければびくとも進みません。一方で瀬戸内海の主な瀬戸の潮流は海上保安庁の資料によると、関門海峡で9.4ノット(17.4km)来島海峡で10.3ノット(19.1km)にもなるようです。とても進めないですね。木造帆船を進めるには、座礁しない海路を読む能力と、風潮を読む能力と、操舵技術が必要です。そして、自然の力が巡ってくるのを安全に待つ港も不可欠でありました。瀬戸内海が大阪と九州を結ぶ400kmにも及ぶ海道とし栄えていたのは、水路を開き、つまり水中の障害物を除き航路を開き、おおむね20㎞程度毎に停泊港を水の補給地を兼ねて整備したからこそです。船は大阪から九州まで一気に進めるものではなく、各停泊港で風待ち汐待ちを繰り返し海路をつないでいったのです。
御手洗
御手洗は島に挟まれた穏やかな湾で風待ち汐待ちの為の港町として栄えたのでした。瀬戸内海を船で旅するものは、必ずと言ってよいくらい停泊する港。参勤交代をする大名行列も例外ではありません。島に停泊し上陸した乗船客は、旅先で航路が適切な状況になるのを待つ以外にすることがありません。従って、街は旅人たちの情報交換と遊行をするための歓楽街として発展を遂げました。茶屋や置屋が軒を連ね、花魁が数多くいたのです。彼女たちのレベルは高く。吉原京都に次ぐ教養の高さだったとも記されていましたが、それだけ様々な文化を持った旅人が集ったところだったのでしょう。幕末の志士達も土佐、長州、広島藩の錯綜するこの地を情報交換や談判する地として使い、更には船団の集合場所として利用したのでした。
時代はくだり、内燃機関のエンジンを備えた鋼鉄船の時代になると、一晩で大阪から九州まで途中停泊無しで一気に走れるようになったので、このような港の役割は突然無くなりました。街が突然のように必要なくなってしまったのです。次の使い道もない建物が解体されることもなく、がらんどうになった街並みがタイムカプセルに入れられたように残ってしまったというわけです。近年になり、タイムカプセルを開けたのか、残っていた街並みを生かそうと気づいた自治体が整備を始め、また観光資源として生かそうという志ある若者がポツポツと増えてきました。更には素晴らしい景観を楽しむため、海道を自転車で巡るライダーも訪れるようになってきて、少しずつ人が訪れるようになった街が現在の御手洗でした。
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| 港に面した道路沿いに建つ船宿に少し手を入れて、カフェに。壁の意匠など凝った造りです。 |
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| 茶屋が軒を連ねる街並み。三味線の音や嬌声が聞こえてきそうです。旅人にとっては目もくらむような歓楽街だったのではないでしょうか。 |
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| 街の入口に立派な構えの茶屋。路地がくねっていて人だまりができ、期待感をうまく高める景観ができています。 |
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| この茶屋も漆喰壁が見事な大店です。凛とした屋根瓦も誇らしげ。 |
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| 壁の意匠にもお金がかかっています。 |
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| 中の様子が外から窺えるような細かい格子戸になっているのは茶屋の決まりです。 |
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| 玄関の欄間に見事な鯉の意匠が施されています。 |
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| 路地裏の魅力的。 |
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| 昭和の洋館と懐かしい郵便ポスト |
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| 昭和初期に建てられた演芸場 |
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| 港の脇に瓦屋根がひしめいています。 |
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| 神社の鳥居が見えますが、城址です。交通の要所ですから制海権を取るための重要な軍事拠点であったことは間違いありません。 |
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| 高い石垣のすぐそばまで民家が迫ります。石垣の材料調達と工事の困難さを思うと多くの資金が投じられたことが解ります。 |
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| 天満宮 背後に山を背負っています。 |
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| 海沿いには海運の神を祀る住吉神社 |
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| 中村春吉碑 日本初の自転車による世界一周旅行者だとか。御手洗の出身者。かなりマニアックな碑ですが、近年の自転車愛好家の碑参りを兼ねたツーリング需要増加に一役買っています。 |
新光時計店
NHKのドキュメンタリー プロフェッショナル「仕事の流儀」に取り上げられた時計職人松浦敬一さんの営む「新光時計店」がこの街にありました。失礼ながらこのような孤島の田舎町の時計屋さんに日本中から時計修理の依頼が舞い込むということは驚きです。建物は大正時代のものを大事に使っているとか。ちょうどお店の日よけを掛けたところをお見かけしたのでご挨拶したら、気さくにお話ししていただけました。もともと米問屋だった家業を、150年前から街の衰退を見越して時計修理業に業務転換し全国に営業を回ったりして一途に商売をされている。時代の変化に向き合わず不満ばかり言っていてもだめだな、と示唆深いお話を聞けました。ちなみにご子息が事業承継して家業を継いでいくことになったそうです。
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| NHKだけではなく、様々なメディアに取り上げられています。記事などが丁寧に整理されていました。店の中にはお宝のような時計がたくさん並んでいました。松浦さんは窓際の明るい作業台で仕事をされています。 |
今回の合宿所
街の廃校を利用した「ふるさと学園」に宿泊しました。給食室で当時の食器を使い自炊。お風呂は家庭用を少し大きくしたもの。教室を改装して2段ベッドが作り付けてあり、最大40人泊まれるとか。4人ではゆったり過ぎてさみしい感じ。夕食は外食。スーパーで購入した新米を炊飯器で炊いて、朝ごはん、さらには農作業時の昼食用にお握りを作り、もりもり食べました。
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| 少々傷んでいますが、大丈夫です。 |
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| 山頂への登山道の開始地点にあります。夜はイノシシが徘徊することもあるとか。 |
御手洗の紹介は以上です。次回は蜜柑収穫作業についてです。
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