2013年6月23日日曜日

山手線沿いWalking    (品川~日暮里編)その1


2013/6/22 の梅雨の晴れ間の土曜日に、高校時代の同級生仲間と、山手線沿いWalkingを楽しんで参りました。
ルートは、品川駅高輪口をスタートして、時計回りに山手線のなるべく近い道を、高低差を無視して歩き、各駅の改札口を確認しつつ通過して、終点は日暮里まで。
9:30出発、代々木で食事、目白で一休み、日暮里に16:00前に到着しました。
出発時男4人+女子1名→代々木で男1名合流→巣鴨で男1名合流となり歩きの終点。日暮里で銭湯に浸かり、居酒屋でお疲れ様会の開催。お疲れ様会のみの参加は更に男2名+女子1名でした。楽しかったー。 
歩行距離は各自iPhone やらGarminやらで計り、28km程度かなと思いましたが、改めて、Mapionの距離測で計ると、24.8kmでした。以下に写真を貼りつつ、若干解説。
都内城南地区から、幾つかの高級住宅街をかすめ、猥雑なる繁華街や、真新しい再開発地区や何気ない住宅街や本当に多種多彩な町並みを歩くことができ、改めて東京という都市の面白さを実感したWalkingでした。

それぞれのリンクURLをクリックすると、Mapionの距離測の地図で、道路が表示されます。

まずは、品川駅→大崎駅へ

http://www.mapion.co.jp/m/route/35.61745246670484_139.7408689828859_8/aid=125a40/

品川からは箱根駅伝の通る国道15号を南下、八つ山橋から三菱岩崎別邸であった関東閣を右に見つつ、御殿山交番前交差点から御殿山の住宅街へ入っていきます。都内でも有数のお屋敷街である御殿山。都内お屋敷街の多くは江戸時代の大名屋敷(上屋敷や下屋敷)があった場所ですが、ここは徳川の鷹狩り場の御殿があったのが地名の由来である。現代美術の質の高い展示で知られる原美術館の前を通り、ミャンマー大使館を右折して、神戸製鋼本社の敷地沿いに急坂を転げるように降りると、目黒川を居木橋で渡り、ほどなく大崎駅に到着。

御殿山の住宅街にあるミャンマー大使館。


大崎駅前の再開発ビル群。近年だいぶ様相が変わった駅の一つですね。

大崎駅前信号

五反田駅へ

http://www.mapion.co.jp/m/route/35.623290831306406_139.7269241908019_8/aid=72dd70/

大崎駅は、近年駅の両側が再開発され、臨海線の乗換駅になったことから急激に昼間人口が増えた街です。駅前の山の手通りから逸れて、目黒川に沿った方向へ進みます。この辺りは超高層住宅が立ち並ぶエリアとなりました。しばらく行くと島津山の麓を走る都道317号線(いわゆるソニー通り)にぶつかり左折。五反田駅は目の前です。
ビルの横に、面白いオブジェが。

大崎から、繁華街を過ぎ歩いてくると、五反田駅。遠目に駅名を見る。混沌とした街並みブリは本日の中でも屈指の駅。

目黒駅へ

http://www.mapion.co.jp/m/route/35.62885945826531_139.7208393114147_8/aid=0bdee6/

島津山の麓から桜田通りを渡って西に行くと、そこは池田山の麓。山ごとに高級住宅街が広がります。この辺りは高輪台地の南のはずれ。城南五山とも言います。南斜面が昔からの住宅適地だったのでしょう。更に西に行くと今度は花房山。やはり麓の道を目黒駅に向け急勾配の登坂です。

目黒駅はJRと東急、東京メトロ、都営地下鉄の交わる駅となりました。駅前の表記を見ると、海抜30m超でした。品川駅からは随分登った台地の上です。

恵比寿駅へ

http://www.mapion.co.jp/m/route/35.64543856084456_139.71224476803445_8/aid=9fe729/

目黒駅を過ぎ、台地の上の尾根道を北へ向かいます。ここは山手線の外側を歩くことになります。東側を走る線路の向こう側の住所は、長者丸。道沿いは目黒区三田(慶應のあるのは、港区三田で違います)であり、やはり高級住宅地が連なります。但し、我々が歩いているのは、その縁の道なので、風情はあまり感じません。歩いていると、日の丸自動車教習所を過ぎ、ガーデンプレイスのビル群が間近に迫ると、恵比寿の駅ビルが見えてきてほどなく恵比寿の雑踏です。

恵比寿駅

恵比寿も飲み屋街は充実しています。ここは、われわれ高校の先輩が経営している店だそうです。今度連れてきてくれ!

渋谷駅へ

http://www.mapion.co.jp/m/route/35.65473040577127_139.70900609051472_8/aid=8cb4ed/

恵比寿の飲み屋街から線路をくぐってまた、内側へ。庚申橋西の交差点から線路沿いに渋谷に向かいます。電車の窓からよく見える道です。

この人物はオブジェ風広告看板です。建設資材の販売会社で、車窓からいつ見ても倉庫を覗き込んでいるおじさんなのです。この日は同じ制服を着たこの会社の社員の人が下で作業していました。

先日廃止になった旧東横線の山手線を跨ぐ鉄橋です。架線は撤去され、間もなく解体されるでしょう。現在はこの真下の地中深くを東横線は疾走しています。

更に行くと、代官山から並木橋に至る道が山手線を跨ぐ橋です。レトロで美しい構築物です。

林立する柱脚と、それを地上に置くピン支点が、無駄のない構造美を見せています。

線路沿いに来ると、渋谷駅の新南口に至ります。

明治通りに出て歩道橋を歩くと、これも先日廃止になった旧東横線渋谷駅舎を見ることができました。線路などは全てはぎとられ、解体されるのを待っています。

懐かしいが、これを解体するのは容易ではありません。

駅構内を通過して、ご存じハチ公を見て行きます。

原宿駅へ

http://www.mapion.co.jp/m/route/35.669214303440036_139.70770724829327_8/aid=8b7e91/

渋谷の雑踏を抜けるには一苦労でしたが、またも山手線の外側に移り、DJポリスの活躍した交差点を渡って原宿方面へ進んでいきます。若い男性向けの衣料店舗が増えました。ブランド毎に男子用の店舗を競合させている。最近の男子はオシャレだからな。女子に目をやるより自分を飾る方が楽しそうとも見えてしまう。と言いつつ、ここはほぼ線路沿いに北上します。東京電力の広告館もカラオケ屋さんに売却されて、スポーツジムになっていました。使いづらそうな建物です。
岸記念体育会館横から、代々木体育館の敷地をかすめて坂を登ると原宿駅です。


自転車は通さないぞ、点字ブロックを大事にしろという交通規制でしょうか。


神宮橋上から原宿駅を望みます。

山手線の中でも古い駅舎を残して、駅自体もあまり変化の少ないという貴重な駅です。美しい建物です。

代々木駅へ


原宿で神宮橋を渡り、また内側へ。しばらく線路沿いに坂を下って、突き当りは、皇室用の駅(宮廷ホーム)になります。現在はほとんど使われていないのでしょう。ひっそりと門が閉じられています。そのまま千駄ヶ谷の住宅街に入り、細い道を北上します。頑張った建物も散見されるというエリアです。道なりに右折していくと、明治通りにぶつかり、副都心線の北参道の駅が見え、首都高速をくぐって共産党脇の道を行くと代々木駅です。

宮廷ホームの門です。

建築雑誌老舗のGA

この日最初の踏切を渡ります。臨海線でした。更に行くと代々木駅

Docomoのビルがバックにそびえたちます。

代々木駅の傍で食事を取ることにしました。それでは、「その1」はこの辺で。この話は続きます。



2013年3月20日水曜日

スウェーデン旅行記 Aug.2012 その第3回 壮大な祈りの場

今回からストックホルムにある建築を見ていきます。

とはいえ、スウェーデンには、建築ガイドなどに取り上げられている現代建築が少ないです。
デザインの国にしては意外。
スウェーデンの建築家といえば、アスプルンド(1885-1940)やストックホルム市庁舎を設計したエストべり(1866-1945)があげられますが、すこし前の世代ですし、世界的なビッグネームというほどではありません。アスプルムンドは北欧のモダニズムの父とも評されてはいますが、55歳で早世したためか作品が少ないこともあり、名前があまり知られていないかもしれません。
また、国としての特性もあります。第1回で書きましたが、スウェーデンは武装中立国として2度の大戦を経ているので、戦火を受けていない。従って古い建物が破壊されずに残っており、建替えすよりもそのまま利用している事例が多いので、現代建築は少ないともいえます。そのかわり再開発や内装を作り替えた建物などは日本の発想を遥かに超えたものがありました。順を追って見て行きます。まずは、建物ではなく「場」です。

世界遺産「森の墓」

Skogskyrtogarden「森の墓」と名付けられた施設を訪れました。http://www.skogskyrkogarden.se/en/
1915年に行われた設計コンペで、アスプルムンドとレヴェレンツ案が一等を獲得し、特にアスプルムンドは生涯をかけて実施設計を担当しました。
スウェーデン人は人は死ぬと森に還るのだと考えていて、もともと土葬の文化でしたが、墓地が将来的に不足するであろうという危惧への対策から、都市の辺境に火葬場を含む墓地を作ることが決められたのです。1940年まで長い時間をかけて建設され、その特異な存在は1994年に世界遺産に登録されたことを見ても理解できます。
そこはストックホルムの人たちが最後に行き着く場所であり、壮大な祈りの空間でありました。
我々は観光客として訪れたわけですが、ここを訪れる人たちは様々なシチュエーションにあることが想像されます。愛する家族を葬るため、その後の墓参のため、また葬儀への参列のため、更には自分の心を見つめ直すためなど。ここは、それら全てを受け入れてくれる、静かな、そして深く大きな場所でした。

世界遺産を示すプレートが入口にひっそりと掲げられています。

地下鉄で都心部から20分ほど。墓地専用の駅があります。死生観の違いか、暗い感じはありません。


配置図 広大な敷地です。

駅からのアプローチ。うっそうとした楓の並木の下を歩いていきます。人間の背丈より少し高いあたりで枝がきれいに剪定されていて、天空に蓋をされたような歩道です。ここもこれから出現していく空間のプロローグの役割を果たしていると思いました。冬は全く違う光景なのでしょう。

アプローチの歩道が唐突に切れると、空が開け、そこが苑の入口。敷地の北の端。既に見事な演出により日常に暮らす世界とは異なる世界に誘われていく。



苑内に入ると、芝生の敷き詰められた広大な丘が出現し、はるかかなたに巨大な十字架が屹立しています。

十字架は非常に大きいことがわかってきます。

入口に近い場所に聖職者達の墓が並ぶ。

十字架の高さはゆうに15mはあります。左の建物が火葬場。
この一本で、見渡す限りの地平に意味を与えてしまう造形。十字架は記憶の奥底から存在感を誇示する。

火葬場のホワイエ。奥が炉の扉。


ホワイエの天井の一部が劇的に切り取られ、象徴的な彫塑が配置されている。空間を覆う屋根は、まさしく我々が生きている世界を覆っている蓋であり、肉体を焼かれた魂が無限の天空に飛び立つ様を見ることができる。具象的ではあるが、微塵も陳腐さは感じない。森に還るというよりも異空間に解き放たれる感覚なのだろうか。しばし立ちつくし動けなかった。

森が迫る。帰ってこいと呼ばれている気もする。

木立の中に夥しい数の墓石が在った。全ての石は西を向いている。
All Saint Day にはこのような光の弔いがなされる。画像は借りてきました。



七井戸の小路と呼ばれる道を通り、遺族は「復活の礼拝堂」に向かう。

復活の礼拝堂

内部には入れなかったので、写真を借りてきました。レヴェレンツの設計による。

この丘は「瞑想の為の場所」と名付けられ、七井戸の小路のもう一方の端に位置しています。

苑内に彩りを加える花

花は生の象徴でもある


可憐な装い

「森の墓」を訪れ、建築を見るというより、深い体験をしたという印象が残った。といっても施設全体がモダンなデザインで統一され、何より神に近いような解放感を全身で感じることができるので、重さや暗さを払拭している。ともすれば重厚なストックホルム市街にあって、その意味でも異彩な空間である。

ストックホルム市立図書館

ストックホルム市街に生還し、もう一箇所アスプルンドの代表作を見ました。
1928年に竣工した市立図書館です。ストックホルム中心部の開放的な公園内、小高い地盤の上に建っています。造形と外壁の色彩が印象的な建物です。


建物名に設計者の名前が併記してあります。


立方体に筒を乗せた造形で、オレンジ色の外観です。
入口は黒い重厚な石で絞り込むような形になっている。階段の上に到達したときの劇的な視界の広がりを意識しているのであろう。「森の墓」に至るアプローチで閉塞感を強いる手法と似ている。写真は借りてきました。

巨大な筒状の大空間がいきなり現れる。周囲の壁は、そのまま天井まで図書の架台となっている。視界に入る書物の量に圧倒される。この溺れそうな感覚が、図書館の権威を高める役割を担っていると思った。天井からは特徴的な照明が下げられている。
この図書館は、東ドイツ生まれの美術家アンドレアス グルスキーの「図書館」という作品のモチーフにされている。グルスキーの作品は物や人が激しく集合しているような混沌を写真を基にまるでSF小説のように精密にフィクションに作り替えていくのであるが、これほどの本の集積が、グルスキーの創作意識を激しく刺激したに違いない。
http://en.wikipedia.org/wiki/Andreas_Gursky
 


全方向にハイサイドライトが切られ、天井自体を明るくしている。

書架に沿って通路が円周を回る。断面。

壁にかかる平面図

第3回は以上です。次回も建築系で行きます。